鳩ヶ谷宿はとがやしゅく(埼玉県鳩ヶ谷市)

発戸郷を地名の由来としており、幕府領、天保14年(1843)の家数217軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠16軒(内中7軒、小9軒)であった。
本陣・問屋・名主は代々舟戸家が勤めていた。本陣の母屋は、里の真光寺に移設されており、3と8の日に市(さんぱちいち)が立った。

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市神社(いちがみしゃ)
鳩ヶ谷は日光御成道の宿場町として栄え、享保16(1731)年に市が開かれた。毎月3と8の日に、市が開かれたことから「三・八市(さんぱちいち)」と呼ばれて繁盛した。江戸時代の鳩ヶ谷が、経済流通の中心地であったことを立証する貴重な文化遺産となっている。ちなみに、この社は日光御成街道の右側に鎮座。2mほどの間口で、注意しないと見過ごしてしまう。
法性寺(ほうしょうじ)
明治4年に火災に遭い、その飛び火が近くにあった地蔵寺の堂宇を焼いてしまった。現在の山門は足利時代末期のもの。法性寺の周りにある森は昭和57年、鳩ヶ谷市の「ふるさとの森」に指定され、貴重な緑を後世に伝える役割を担っている。また、この森にある松は、栄養価の高いうなぎを育んだと言われている。鳩ヶ谷に老舗のうなぎ屋が多いのはこのためである。
地蔵院(じぞういん)
埼玉県文化財指定の木造不動明王立像は鎌倉時代の作。境内には「良縁地蔵」があり、良縁なら結び、悪縁なら断ち切ってくれる。明治5年から明治13年までに地蔵院を仮校舎として鳩ケ谷小学校が開校した。地蔵院で見られるもうひとつの市指定文化財は、江戸時代の社会教育者として有名な小谷三志の墓。質素に唱えた師の墓は、自然石を2つに重ねたもの。

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