道標どうひょう

この道標は、江戸街道の一つである奥州道中(街道)から棚倉街道への小滝入口分岐点、追分に建てられたものである。棚倉地方では日光道または、江戸道と呼び、奥州道中大田原宿を経由して江戸・日光方面に向かう捷路として重要な街道であった。
寛永6年(1629年)8月「紫衣事件」によって江戸幕府の怒りをかい、僧沢庵宗彭と玉室宗珀が流人として流刑の地、羽州上山と奥州棚倉へ送られる途中、この追分口まで一緒に護送されてきた。
沢庵は奥州路、玉室は棚倉路を北へ。
この時決別の歌を作り、袂を分かった歴史的な地点である。

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道標
道標

前の名所:中田原一里塚