岩塚宿いわつかしゅく(愛知県名古屋市)

岩塚宿は、庄内川を挟んで対岸にある万場宿で上半月を万場宿、下半月を岩塚宿が人馬継立の役務を行った。このことから2宿で1宿扱いとなっていたようである。庄内川を渡す「万場の渡し」の川渡船は、佐屋路開設当初からあった万場宿の管理下にあったため、後で設けられた岩塚宿は万場宿の補佐的意味合いが強かったようだ。街道開設時には砂子村が宿役を担っていたが、寛永13年岩塚村と差し替えられ整備された。

≫宮~岩塚を歩く

八幡社(はちまんしゃ)
珍しい茅葺きの社殿である。
遍慶寺(へんきょうじ)
吉田治郎左衛門重氏が築き、その子吉田内記守氏が居城したと云う。守氏は尾張守護の斯波氏に仕えたが、斯波氏を滅亡させた信長を好まず、子元氏に仕えさせて隠居した。1568年信長の伊勢侵攻の際、大河内城攻めで元氏は討死。その子九郎左衛門は織田信雄に仕えた。現在は遍慶寺に変った。
光明寺(こうみょうじ)
行基作と伝えられる地蔵菩薩が本尊。この地蔵菩薩は安産に効験あらたかといわれ、像にサラシをかけて祈念し、戌(いぬ)の日に、はずして身につける妊婦も多い。また境内には「天然記念物」に指定されているクロマツの古木が大空いっぱいに枝を伸ばし、その姿のよさで知られている。

≫万場宿へ行く

岩塚宿 八幡社 遍慶寺 光明寺