実際に「歩いて」「走って」集めた『人力』旧街道紹介サイト
慶長6年(1601)東海道に伝馬制度が設けられ、程なく尾張と三河の立会いで橋が架けられた。この橋は、中程より西は板橋、東は土橋で、多くの旅人の足をとどめたが、度々の洪水に流され、修復された。やがて、継ぎ橋は一続きの土橋になり、明治になって欄干つきになった。
≫池鯉鮒~鳴海を歩く
慶長6年(1601)東海道に伝馬制度が設けられ、程なく尾張と三河の立会いで橋が架けられた。この橋は、中程より西は板橋、東は土橋で、多くの旅人の足をとどめたが、度々の洪水に流され、修復された。やがて、継ぎ橋は一続きの土橋になり、明治になって欄干つきになった。
≫池鯉鮒~鳴海を歩く