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大津谷川にかかる橋です。 栃山土橋の案内板があり、この川は島田川とも呼ばれていたが、享保3年(1803年)の道説島田宿書上書によると、江戸時代は長さ17間(36.6m)、幅3間(5.4m)の土橋で、橋杭には3本立て7組で支えていました。土橋とは板橋の上に柴(しば)を敷き、その上に土を盛ったものであると記されています。
≫藤枝~島田を歩く
大津谷川にかかる橋です。
栃山土橋の案内板があり、この川は島田川とも呼ばれていたが、享保3年(1803年)の道説島田宿書上書によると、江戸時代は長さ17間(36.6m)、幅3間(5.4m)の土橋で、橋杭には3本立て7組で支えていました。土橋とは板橋の上に柴(しば)を敷き、その上に土を盛ったものであると記されています。
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