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赤坂宿の本陣は宝永八年(1711年)の町並図によると、四軒あった。この松平彦十郎家は江戸時代初期から本陣を勤め、人馬継ぎ立てを行う問屋も兼ねていた。宝永八年の間取り図によると、間口十七間半・奥行二十八間・座敷通り四二二畳で門・玄関付の立派なものであった。
≫御油~赤坂を歩く
赤坂宿の本陣は宝永八年(1711年)の町並図によると、四軒あった。この松平彦十郎家は江戸時代初期から本陣を勤め、人馬継ぎ立てを行う問屋も兼ねていた。宝永八年の間取り図によると、間口十七間半・奥行二十八間・座敷通り四二二畳で門・玄関付の立派なものであった。
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