舞坂一里塚と常夜燈まいさかいちりつかとじょうやとう

【舞坂一里塚】
江戸幕府が日本橋を起点にして街道に一里塚を築かせたのは慶長9年(1604年)とされる。天保年間の宿村大概帳には舞坂宿は江戸より67里16町に位置しており、ここの一里塚は左右の木立共松と書かれている。
しかし、古老の話では大正時代まで一抱え半もある大きな榎の木が枝を四方に繁らせていたというから幕末の頃には榎の木が植っていたと解釈してよいだろう。 なお北側の一里塚は土地台帳に町有地としてわずかに名残りを留めているのみである。
【常夜燈】
新町の常夜燈は正面が秋葉大権現、西面が津嶋牛頭天王、南面が両皇大神宮、東面が文化12年乙亥正月吉日を彫られており、文化12年に建立されたことが分かる。
江戸時代の舞坂はよく火災に見舞われ、特に文化6年(1809年)には宿場の大半を焼く大きな火事があり、復興に大変難儀をしている。当時火防せの山、秋葉信仰の高まりとともに人々の願いによりこの常夜燈が建立されたもので、その世話は現在も地域の人たちに引き継がれている。

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舞坂一里塚と常夜燈
舞坂一里塚と常夜燈

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