大磯宿おおいそしゅく(神奈川県中郡)

大磯宿は、本陣3件、脇本陣6件、旅籠66件であった。
大磯は古代には相模の国の国府がおかれ、江戸時代には宿場町として栄えた。

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大運寺(だいうんじ)
増上寺の末寺で秀誉上人が元和年間(1615-1624)に開山。本尊阿弥陀如来坐像は首が近江国の良弁、胴体が下野国の恵心によって平安末期に作られ元禄2年(1689)に合わされたもの。
延台寺(えんだいじ)
虎御前が恋人曾我十郎とその弟、五郎を偲んで結んだ庵をもとに、日道上人が建てた寺。境内には大磯遊女の墓や虎御前の供養等などがある。
北組問屋場跡(きたぐみといやばあと)
大磯宿の問屋場は北本町、南本町に一カ所ずつあり、地福寺の門前通りを境として北組と南組に分かれていた。それぞれに問屋年寄1人、帳付4人、人足指2人、馬指2人が置かれ交互に役を勤めてい。北組問屋場は間口3間半(6.3m)であった。
鴫立庵(しぎたつあん)
「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」と西行が詠んだ鴫立沢。この西行の歌を偲んで、江戸初期に崇雪が創建した「鴫立庵」は、京都の落柿舎、近江の無明庵とともに俳諧三大道場と呼ばれている。
島崎藤村旧宅(しまざきとうそんきゅうたく)
藤村は昭和16年の春からここを借り、「東方の門」を執筆。しかし、昭和18年8月に脳溢血に倒れ71年の生涯を閉じた。

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大磯宿 大運寺 延台寺 北組問屋場跡 鴫立庵 島崎藤村旧宅

前の名所:江戸見附跡