草津宿くさつしゅく(滋賀県草津市)

草津宿には、本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠70軒があった。ここ草津宿は、平安時代からあり、東海道と中山道の分岐点であった。

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追分道標(おいわけどうひょう)
ここはかつての日本五街道の最幹線で、東海道と中仙道との分岐点である。トンネルができるまでは、この上の川を越せば中仙道へ、右へ曲がれば東海道伊勢路へと行けた。ここは草津宿のほぼ中心部で、この付近は追分といわれ高札場もあり、旅人にとっては大切な目安であった。多くの旅人が道に迷わぬよう、また、旅の安全を祈って文化13年(1816年)、江戸大阪をはじめ全国の問屋筋の人々の寄進によって建立されたものである。高さは一丈四尺七寸(4.45メートル)で、火袋(ひふくろ)以上は銅製の立派な大燈籠であった。火袋以上はたびたびの風害によって取り替えられたが、宿場の名残の少ない中にあって、常夜燈だけは今もかつての草津宿の名残をとどめている。
高札場跡(こうさつばあと)
現在あるものは、復元されたものである。
田中本陣跡(たなかほんじんあと)
草津宿本陣は、寛永12年(1635年)に定まった。江戸幕府による参勤交代の制度を背景にして、東海道・中仙道を上下する諸大名・役人・公家・門跡等の休泊所として草津宿に開設された施設で、明治3年(1870年)宿駅制度の廃止までの二百数十年間、その機能を果たしてきた。 史跡草津本陣跡(田中本陣跡)は、全国に残る本陣遺構の中でも、ひときわ大きな規模を有しており、延4726平方メートルにのぼる敷地内には、かつての本陣の姿を髣髴とさせる数々の建築物が残され、関札・大福帳・調度品ほか、貴重な資料も数多く保管されているなど、近世交通史上、きわめて重要な文化遺産である。 敷地内には、正面、向かって左手に、表門・式台・主客の宿泊に当てられた上段の間・家臣用の座敷広間・御膳所・湯殿等を配し、通り土間を境にして、右手側には本陣職にあたった、田中七左衛門家の居室と台所を設けている。
脇本陣跡(わきほんじんあと)
脇本陣の碑がある。現在は、草津市観光物産館として利用されている。
立木神社(たちきじんじゃ)
神護景雲元年(767)の創建。樹齢400年のご神木ウラジロガシがある。また、旧追分道標が保存されている。延宝8年(1680)11月建立は県内最古の石造道標である。

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草津宿 追分道標 高札場跡 田中本陣跡 脇本陣跡 立木神社

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