小萬のもたれ松こまんのもたれまつ

江戸中期、九州久留米藩士牧等左衛門(まきとうざえもん)の妻は夫の仇を討とうと志し、旅を続けて関宿山田屋に止宿、一女小萬を生んだ後病没した。小萬は母の遺言により、成長して三年程亀山城下で武術を修行し、天明3年(1783)見事仇敵軍太夫を討つことができた。 この場所には、当時亀山通いの小萬が若者のたわむれを避けるために、姿をかくしてもたれたと伝えられる松があったところから「小萬のもたれ松」とよばれるようになった。

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小萬のもたれ松
小萬のもたれ松

前の名所:大岡寺畷
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