程ヶ谷宿ほどがやしゅく(神奈川県横浜市)

保土ヶ谷宿は松原商店街が印象的である。
実際の宿場は商店街を抜けた先にあり、『現代の宿場』を思わせる盛況ぶりである。また、宿場内も案内板が充実しており、旧街道の名所を辿るのに不自由はしない。
当時の通用門が残された保土ヶ谷宿苅部本陣跡は立派な上、街道を辿ると突き当たりにあるため、かなり存在感がある。

≫神奈川~程ヶ谷を歩く

橘樹神社(たちばなじんじゃ)
橘樹神社は古くに立花杜とあり、「村の西に寄てあり、祭神は日本武尊、弟橘媛の二神なり・・・」と古書にも書かれているように、祭神は日本武尊、弟橘媛の二神である。
旧帷子橋碑跡(きゅうかたびらばしひあと)
旧東海道に架けられていた帷子(かたびら)橋は、現在の「帷子橋」の位置ではなく、昭和31年(1956)に帷子川の河川改修工事により帷子橋の位置も変わった。かつての帷子橋の跡地は、現在の天王町駅前公園の一部となっており、安藤広重の「東海道五十三次之内 保土ヶ谷」の風景はに帷子橋が描かれている。
香象院(こうぞういん)
開山の年代は不詳であるが、保土ヶ谷宿で最大の寺子屋があった。その後、明治6年に保土ヶ谷小学校の分校になった。
見光寺(けんこうじ)
江戸時代初期に開山され、保土ヶ谷に住んでいた茂平(もへい)夫妻が建てた。
天徳院(てんとくいん)
曹洞宗の寺で、開山は安土桃山時代。本尊は運慶作といわれる地蔵菩薩座像。
遍照寺(へんじょうじ)
「念仏百万遍の供養塔」という供養塚があることで知られている。この供養塚は、足立為茂の略伝とその信心深さを述べ、祖霊始め親族眷属はもとより、無縁、溺死、焼死の三界万霊に至るまで、二世安楽を祈り、文化6年(1809)に建てられた。本尊の薬師如来像は横浜市指定文化財に登録されている。
金沢横町道標(かなざわよこちょうどうひょう)
保土ヶ谷宿には、金沢道や八王子道といった脇街道へ繋がる分岐点があり、この道標4基がその分岐点に建てられていた。この道標の中に「程ヶ谷の枝道曲がれ梅の花」と杉田梅林への道を示す俳句を詠んだものがある。金沢道は杉田の梅林や金沢、鎌倉、江の島という名所、旧跡を通り、藤沢宿で再度、東海道と合流するルートとして人気があった。
保土ヶ谷宿本陣跡(ほどがやほんじんあと)
代々苅部家がつとめた。現在も、当時を偲ばせる土蔵が残されている。その後、明治3年(1870)に軽部に改姓し、現在も在住されている。
保土ヶ谷一里塚跡(ほどがやいちりづかあと)
江戸から数えて8番目の一里塚。
上方見附跡と説明板が一緒になっている。

≫戸塚宿へ行く

程ヶ谷宿 橘樹神社 旧帷子橋碑跡 香象院 見光寺 天徳院 遍照寺 金沢横町道標 保土ヶ谷宿本陣跡 保土ヶ谷一里塚跡

前の名所:江戸方見附跡