実際に「歩いて」「走って」集めた『人力』旧街道紹介サイト
この菊川坂石畳は、平成12年の発掘調査により江戸時代後期のものと確認されました。 江戸時代は、様々な仕事が助郷という制度によってなされましたが、この石畳も近隣12か村に割り当てられた助郷役の人たちによって敷設されたものです。 この長さは、380間(約690m)あったともいわれています。しかし、現在では昭和30年代から40年代にかけての工事により、一部破損されたところもありますが、このように長さ161m、最大幅4.3mを残しております。 かつては、江戸と京都を結ぶ主要な街道としてこの石畳も多くの旅人たちで賑わったと言われ、往時をしのぶ文化遺産として大切に後世に伝えていかなければならない。
≫金谷~日坂を歩く
この菊川坂石畳は、平成12年の発掘調査により江戸時代後期のものと確認されました。 江戸時代は、様々な仕事が助郷という制度によってなされましたが、この石畳も近隣12か村に割り当てられた助郷役の人たちによって敷設されたものです。
この長さは、380間(約690m)あったともいわれています。しかし、現在では昭和30年代から40年代にかけての工事により、一部破損されたところもありますが、このように長さ161m、最大幅4.3mを残しております。
かつては、江戸と京都を結ぶ主要な街道としてこの石畳も多くの旅人たちで賑わったと言われ、往時をしのぶ文化遺産として大切に後世に伝えていかなければならない。
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