由比宿ゆいしゅく(静岡県静岡市)

由比宿は、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠32軒と小さな宿場であった。

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東木戸(ひがしきど)
ここは当初の由比宿の東木戸で、桝型道路の形状をとどめている。志田宅は家歴も古く、屋号「こめや」を名乗り、家のたたずまいも昔の商家の面影を残している。入口(どまぐち)を入ると帳場、箱階段等が残っている。
お七里役所跡(おしちりやくしょあと)
お七里役所とは、紀州徳川家が、幕府の動向をいち早く知るために、七里ごとの宿場(23箇所)に設置した連絡所で、業務に従事したお七里衆が配置されていた。
由比宿内のこの跡地には、現在は、説明書きが残るのみである。
ゆい桜えび館(ゆいさくらえびかん)
桜えびの直売所や削りぶしの直売所がある。 明治27年(1894年)12月のこと、今宿の漁民、望月平七と渡辺忠兵衛が鯵の夜曳船で富士川尻の沖合いに出ていざ漁をしようと網をおろしたところ、網を浮かせておく浮樽(カンタ)を忘れていることに気がついた。仕方なくカンタなしに網をおろし引き上げると、これはびっくり、1石以上の桜えびがとれたのだ。2人は驚き喜んで回を重ね、大量の漁をして浜に帰ってきた。たちまちこれが評判になり、多くの鯵船曳網が桜えび揚操網にかわっていった。網がちょうど桜えびのいる70~80メートルの深さにまで下がってしまったという偶然が、今日の桜えび漁業をおこすきっかけとなった。
飯田八幡宮(いいだはちまんぐう)
御際神は『譽田別名(ほんだわけのみこと)-應神天皇』。創建は神護景雲2年(768年)といわれ、御神体の僧形八幡像は、大永八歳(1528年)由比出羽守光張の子、内膳大宅光教寄進の墨書がある。
由比本陣公園(ゆいほんじんこうえん)
由比町では、平成元年に本陣跡地を由比本陣公園として整備した。由比の本陣は、建物こそ無くなったが、庭などに当時の面影を残している。 由比本陣には、明治天皇が三度ご小休された。その離れ座敷(141㎡)を記念館として復元し「御幸亭」と命名した。また亭内には数寄を凝らした茶室「結仁斎」も付設され、憩いの空間としてくつろぐことができる。由比本陣公園内に設けられた美術館では「東海道五十三次」で有名な浮世絵師、歌川広重の作品を中心に展示されている。
正雪紺屋(しょうせつこうや)
江戸時代初期から四百年続いている紺屋(染物屋)。戸を開けると左手には、土間に埋められている四つ一組の藍甕(かめ)が四列、職能神の愛染明王を祭った神棚、壁には色々な染物道具、火事や水害など万一の場合、お客さまから預かった大切な品物をまっさきに運び出す用心篭が天井に吊られている。この藍甕や道具は今では使われていないが、昔のままの道具や仕事場が残されていて貴重なものである。

正雪紺屋は慶安事件の由比正雪(1605~51)の生家といわれ、今でも裏庭の祠(ほこら)には、正雪を祭ったといわれる五輪塔がある。(現在、吉岡さんの私宅であるため見学ができない場合もある。)
明治の郵便局舎(めいじのゆうびんきょくしゃ)
江戸時代、文書の送達は飛脚便によって行われ、由比宿では朝日麟一氏によってその業が行われ、飛脚屋と呼ばれていた。明治4年3月、郵便制度の創設により飛脚屋は由比郵便取扱役所となり、さらに明治8年1月由比郵便局と改称された。明治39年5月、平野義命氏が局長となり自宅に洋風の局舎を新築し、明治41年1月より郵便局を移転した。この局舎は昭和2年7月まで使用され、現在は平野氏私宅になっている。
由比宿おもしろ宿場館(ゆいしゅくおもしろしゅくばかん)
宿場町、本陣、由比正雪が楽しくわかる。
旅籠に、桶屋に、寺小屋などなど、上り下りの旅人で賑わった由比宿の町並みを再現。由比家は、代々本陣職を勤めた古い家柄で、ゆかりの所蔵品の数々も展示されている。おみやげ処「弥次喜多屋」もある。また、2階には駿河湾を一望できる"海の庭"が併設されている。
脇本陣温飩屋(わきほんじんうんどんや)
由比宿には脇本陣を交代でつとめた家が三軒あり、そのうち江戸時代後期から幕末にいたるまでつとめたのが、この温飩屋になる。東海道宿村大概帳(天保12年(1484年)幕末編集)に、脇本陣壱軒、凡そ建坪九十坪、門構え、玄関付とあるのがここだと思われる。
由比川橋(ゆいがわばし)
旧橋が老朽化したため、99年に架け替え工事に着手。由比川の河口部に建設した県道橋で、長さ76.1m幅員12m。親柱を由比本陣の物見やぐらを模した常夜灯にし、両側の歩道には自然木を敷き、浮世絵のデザインパネルを4カ所設置した。

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前の名所:一里塚跡