実際に「歩いて」「走って」集めた『人力』旧街道紹介サイト
桜えびの直売所や削りぶしの直売所がある。 明治27年(1894年)12月のこと、今宿の漁民、望月平七と渡辺忠兵衛が鯵の夜曳船で富士川尻の沖合いに出ていざ漁をしようと網をおろしたところ、網を浮かせておく浮樽(カンタ)を忘れていることに気がついた。仕方なくカンタなしに網をおろし引き上げると、これはびっくり、1石以上の桜えびがとれたのだ。2人は驚き喜んで回を重ね、大量の漁をして浜に帰ってきた。たちまちこれが評判になり、多くの鯵船曳網が桜えび揚操網にかわっていった。網がちょうど桜えびのいる70~80メートルの深さにまで下がってしまったという偶然が、今日の桜えび漁業をおこすきっかけとなった。
≫蒲原~由比を歩く
桜えびの直売所や削りぶしの直売所がある。 明治27年(1894年)12月のこと、今宿の漁民、望月平七と渡辺忠兵衛が鯵の夜曳船で富士川尻の沖合いに出ていざ漁をしようと網をおろしたところ、網を浮かせておく浮樽(カンタ)を忘れていることに気がついた。仕方なくカンタなしに網をおろし引き上げると、これはびっくり、1石以上の桜えびがとれたのだ。2人は驚き喜んで回を重ね、大量の漁をして浜に帰ってきた。たちまちこれが評判になり、多くの鯵船曳網が桜えび揚操網にかわっていった。網がちょうど桜えびのいる70~80メートルの深さにまで下がってしまったという偶然が、今日の桜えび漁業をおこすきっかけとなった。
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