八丁畷はっちょうなわて

道が田畑の中をまっすぐに伸びていたことから八丁畷と呼ぶようになった。この付近では、江戸時代から多くの人骨が発見されたため、慰霊塔が建てられているが、これらは、川崎宿が震災、大火、洪水、飢饉、疫病などの災害にたびたび見舞われたことから、そうした災害で亡くなった身元不明の人々を、宿のはずれのこの付近に埋葬したのではないかと考えられている。

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八丁畷
八丁畷

前の名所:芭蕉の句碑
次の名所:熊野神社