神奈川宿かながわしゅく(神奈川県横浜市)

神奈川宿には、幕末の開国にまつわる史跡が多くある。ヘボン博士、宣教師ブラウンの宿舎跡「成仏寺」や、フランス領事館跡の「慶運寺」などの外国人ゆかりの寺院、外国船来航に伴う警備のための台場(砲台の置かれた場所)の跡などがそれである。開港を迫られた幕府が、神奈川湊ではなく横浜村を開港場所としたことから、後に横浜は日本最大の貿易港として栄えることとなる。

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笠のぎ稲荷神社(かさのぎいなりじんじゃ)
宇迦之魂命(うかのみたまのみこと)を祭神として祭る。社伝によれば、平安時代の天慶年間(938~947年)に、淳和(じゅんな)天皇勅願所浦島院勧福寿寺の僧侶が、現在の浦島が丘の稲荷山の中腹に社殿を建立し、京都の伏見稲荷大社の分霊を勧請して創祀した。元寇の際には北条時宗より神宝が奉納された。
元禄2年(1689年)に山麓にうつされ、霊験ますますあらたかとなり、社前を通行する者の笠が自然と脱げ落ちるということから笠脱稲荷大明神とも呼ばれ、後に別当寺能満寺の阿砂利が『笠のぎ(のぎへんに皇)稲荷神社』と改称し明治2年に現在地に祀られた。
金蔵院(きんぞういん)
平安時代の創建 徳川家康御手折梅が境内にあるので有名。毎年1月に、この寺の住職が江戸城に梅の枝を献上する慣わしになっていたと言われている。
熊野神社(くまのじんじゃ)
平安時代末期に紀伊の熊野権現を祀り「権現様」として親しまれている。もと権現山(幸ヶ谷山上)にあったが、江戸中期に金蔵院境内に移り、神仏分離令により金蔵院から分かれた。
成仏寺(じょうぶつじ)
安政6年(1859年) 神奈川条約(横浜開港)に基づきオランダ領事館が置かれた。領事館が長延寺に移ってからはアメリカ人宣教師の宿舎として使われていた。ヘボン式ローマ字でも有名な宣教師ヘボンも本堂を住まいとしていた。
慶運寺(けいうんじ)
安政6年(1859年) 神奈川条約(横浜開港)に基づきフランス領事館が置かれた。慶運寺は「浦島寺」とも呼ばれていて、竜宮城で乙姫からもらった玉手箱が慶運寺にあると言われている。
滝の橋(たきのはし)
神奈川宿の中心、滝の川にかかる橋。この橋を中心に、江戸側には神奈川本陣、反対側に青木本陣がおかれていた。
浄瀧寺(じょうりゅうじ)
浄瀧寺は妙湖山と号し、日蓮宗にに属する。文応元年(1260年)妙湖尼は、当時の政治の中心であった鎌倉に向かう途中にここに立ち寄った日蓮聖人と遇い、聖人の人柄にうたれ法華経の話を聞いて弟子になり、自分の庵を法華経の道場とした。
宗興寺(そうこうじ)
横浜開港当時、アメリカ人宣教師ヘボン博士が診療所を置いたところ。博士は当初、この近くの成仏寺の本堂を住まいとしていた。
権現山(ごんげんやま)
本覚寺のある高島台と尾根伝いに繋がる急峻な山だった。戦国時代、当時の関東の支配者上杉氏の家臣上田蔵人は、北条早雲に味方して謀反を起こし、この山上に砦を築いてたてこもった。
洲崎大神(すざきおおかみ)
建久2年(1191年)源頼朝が安房神社(千葉県館山市)を勧請(かんじょう)して現在の青木町に洲崎大神を建立した。毎年6月に「洲崎大神例大祭」が行われている。
普門寺(ふもんじ)
安政6年(1859年) 神奈川条約(横浜開港)に基づきイギリス仕官の宿舎として使用されていた。「金川砂子附神奈川史要」に普門院と甚行寺が描かれている。
本覺寺(ほんがくじ)
安政6年(1859年) 神奈川条約(横浜開港)に基づきアメリカ領事館が置かれた。当時、住職が地蔵菩薩のお告げによって作ったとされる万能薬「黒薬」といわれるものが明治初年まで政府の官許の下に製造されており、神奈川宿の名物になっていた。
大綱金比羅神社(おおつなこんぴらじんじゃ)
この神社は、社伝によると平安末期の創立で、もと飯綱社といわれ、今の境内後方の山上にあった。その後、現在の地へ移り、さらに琴平社を合祀して、大綱金刀比羅神社となった。
田中屋(たなかや)
文久3年創業の料亭。田中家の前身の旅籠「さくらや」は安藤広重の「東海道五十三次」にも描かれており、高杉晋作やハリスなども訪れた。また、坂本竜馬の妻「おりょう」が働いたことでも知られている。
神奈川関門跡碑(かながわかんもんあとひ)
安政6年(1859年)に、鶴見橋関門と対をなす神奈川宿の西側の関門として設置された。当時、外国人殺傷事件が相次ぎ、各国の領事が警護を要求したため幕府が設置した。

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神奈川宿 笠のぎ稲荷神社 金蔵院 熊野神社 成仏寺 慶運寺 滝の橋 浄瀧寺 宗興寺 権現山 洲崎大神 普門寺 本覺寺 大綱金比羅神社 田中屋 神奈川関門跡碑

前の名所:良泉寺