実際に「歩いて」「走って」集めた『人力』旧街道紹介サイト
葛川と新町の境に掘割があり、ここにかかる橋を渡ると門があった。この門から西が宿場の中で、ここから東海道は南に折れ、道が鉤の手にいくつも折れ曲がる新町七曲に入る。 七曲は、容易に敵を進入させないための構造だと考えられ、七曲りの終点に、城下に入ってくる人物や物を取り締まるための木戸と番所があった。 番所には、捕縛のための三道具(刺股・突棒・袖がらみ)や防火用の水溜め桶などが備えられていた。 新町は、山内一豊が整備した城下町の東に発達した町並みで、元和6年(1620年)町として認められた。
≫日坂~掛川を歩く
葛川と新町の境に掘割があり、ここにかかる橋を渡ると門があった。この門から西が宿場の中で、ここから東海道は南に折れ、道が鉤の手にいくつも折れ曲がる新町七曲に入る。
七曲は、容易に敵を進入させないための構造だと考えられ、七曲りの終点に、城下に入ってくる人物や物を取り締まるための木戸と番所があった。
番所には、捕縛のための三道具(刺股・突棒・袖がらみ)や防火用の水溜め桶などが備えられていた。
新町は、山内一豊が整備した城下町の東に発達した町並みで、元和6年(1620年)町として認められた。
≫日坂~掛川を歩く