原宿はらしゅく(静岡県沼津市)

もともとは、現在よりも浜に近い場所にあったが、高波の被害のため、慶長14年(1609)に北側に移された。
原宿は規模の小さい宿場であったが、原宿の北側「浮島ヶ原」越しに見る富士の姿は秀麗で、広重をはじめとして多くの絵師の筆に描かれた。

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松蔭寺(しょういんじ)
臨済宗の古寺で、名僧「白隠(はくいん)」が住職であったことで有名。白隠は、禅の大衆化を図ったことで500年に1人と言われるほどの高僧となり、臨済宗中興の祖と仰がれた。
また白隠は、禅画を確立したことでも名高く、好んで釈迦、観音、達磨などを描き、現在松蔭寺に多数保存されている。
白隠禅師の碑(はくいんぜんじのひ)
「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とうたわれた白隠禅師は、駿河国原宿長沢家の三男として貞享2年(1685年)に生まれ、幼名を岩次郎と言った。
15歳の時松蔭寺で出家、慧鶴(えかく)と名づけられ、19歳より諸国の旅を重ね、精魂を尽くして修行を積み、享保2年(1717年)松蔭寺の住職となり、翌3年34歳の時京都妙心寺の第一座となった。
その後、禅の大衆化を図りついに500年に1人と言われるほどの高僧となり、臨済宗中興の祖と仰がれた。
原宿本陣跡(はらしゅくほんじんあと)
原宿の本陣渡邉家は阿野全成(源頼朝の弟・義経の兄)の子孫であり、代々平左衛門を名乗って幕末に至っている。原宿の草分けであり広大な建物を持っていたので、自然に大名・幕吏等の宿所として本陣となり問屋、年寄、名主等を勤めていた。間口は15~17間で、建坪は235坪、総坪数は山林、畑を含め6600坪の広大な規模であった。
高嶋酒造(たかしましゅぞう)
江戸末期創業の酒造。明治17年(1884)から造られている「白隠政宗」は、山岡鉄舟が臨済宗の名僧白隠禅師にちなんで名づけたものである。
浅間神社(せんげんじんじゃ)
浅間神社は、三つの祭神を祀ることから三社宮と呼ばれてきたが、創建は慶安3年(1650年)と古く、鳥居前の石灯籠には文化十一申戌の銘がある。

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