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早川にかかる橋になる。北条氏時代は川幅が広く2つの中洲があって3つの橋が架けられており、順番に地獄橋、極楽橋、三昧橋と言い、渡ったところに早雲寺の総門がありどんな罪人も寺に逃げ込めば罪を免れると言われ、極楽橋まで渡ると追手も追わず助かったと言う。江戸後期の記録では長さ22間(40m)幅1丈(3m)の土橋がかかっていたとのことだ。
≫小田原~箱根を歩く
早川にかかる橋になる。北条氏時代は川幅が広く2つの中洲があって3つの橋が架けられており、順番に地獄橋、極楽橋、三昧橋と言い、渡ったところに早雲寺の総門がありどんな罪人も寺に逃げ込めば罪を免れると言われ、極楽橋まで渡ると追手も追わず助かったと言う。江戸後期の記録では長さ22間(40m)幅1丈(3m)の土橋がかかっていたとのことだ。
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