実際に「歩いて」「走って」集めた『人力』旧街道紹介サイト
松並木(並木八丁)を西に進むと、国道1号と交差する。
地下道を経由して国道を西に横断すると池鯉鮒宿の碑がある。
ここが池鯉鮒宿の東の入口となる。
国道に繋がる道のため、交通量が多く当時の面影は残っていない。
東の入口から西へ進んでいくと名鉄三河線の踏切がある。
踏切を越え、細い道を進んでいくと、池鯉鮒宿の問屋場跡がある。
問屋場跡のすぐ近くには、本陣があった。
当時の面影はなく、各々の場所には石碑が立っているのみとなっている。
脇本陣は、明治初めに取り壊された。当時の脇本陣の玄関が、小松寺境内に移され、地蔵堂として残っている。
宿場内を進み、旧東海道はT字路に突き当たって右(北)に曲がる。
この角に池鯉鮒宿の碑がある。このあたりが池鯉鮒宿の西の入口となる。
その先にあるのが知立古城址である。知立城は、戦国時代には今川方の城であったが桶狭間の合戦で織田方のものとなった城である。
宿場町は面影は少ないが静かな佇まいを残しており、散策路としては良いと思われる。
池鯉鮒宿は、江戸から数えて四十番目の宿場町で、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠35軒という規模であった。
古くから馬市や木綿市が開かれていて、江戸時代には賑わっていた。
また、 池鯉鮒(ちりゅう)宿という名は、知立神社(池鯉鮒大明神とも称する)の御手洗池に、鯉や鮒が多くいたことに由来するといわれている。
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