実際に「歩いて」「走って」集めた『人力』旧街道紹介サイト
道標とは、道路を通行する人の便宜のため、方向・距離などを示し、路傍に立てた標示物のことである。この道は、江戸時代のよう街道であったから、諸処にこの様な道標が建てられていた。 従是四丁半北 八橋 業平作観音有 元禄九丙子年六月吉朔日施主敬白 と記されており、これは、元禄9年(1696)に、在原業平ゆかりの八橋無量寿寺への道しるべとして建てられた物であることがわかる。ここから西へ500mの牛田町西端にも、「東海道名所図会」に記されている元禄12年の道標が残されている。
≫岡崎~池鯉鮒を歩く
道標とは、道路を通行する人の便宜のため、方向・距離などを示し、路傍に立てた標示物のことである。この道は、江戸時代のよう街道であったから、諸処にこの様な道標が建てられていた。
従是四丁半北 八橋 業平作観音有
元禄九丙子年六月吉朔日施主敬白
と記されており、これは、元禄9年(1696)に、在原業平ゆかりの八橋無量寿寺への道しるべとして建てられた物であることがわかる。ここから西へ500mの牛田町西端にも、「東海道名所図会」に記されている元禄12年の道標が残されている。
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