実際に「歩いて」「走って」集めた『人力』旧街道紹介サイト
車石とは、牛車(荷役)用の轍を石に刻み敷設したもの。大津と京都を結ぶ東海道は、米をはじめ多くの物資として利用されてきたが、この区間は、大津側に逢坂峠、京都側に日ノ岡峠があり、通行の難所であった。 京都の心学者・脇坂義堂(わきさかぎどう)は、文化2年(1805)年に一万両の工費で、大津八町筋から京都三条大橋にかけての約12kmの間に牛車専用通路として、車の轍を刻んだ花崗岩の切石を敷き並べ牛車の通行に役立てた。これを車石と呼んでいる。
≫大津~三条大橋を歩く
車石とは、牛車(荷役)用の轍を石に刻み敷設したもの。大津と京都を結ぶ東海道は、米をはじめ多くの物資として利用されてきたが、この区間は、大津側に逢坂峠、京都側に日ノ岡峠があり、通行の難所であった。 京都の心学者・脇坂義堂(わきさかぎどう)は、文化2年(1805)年に一万両の工費で、大津八町筋から京都三条大橋にかけての約12kmの間に牛車専用通路として、車の轍を刻んだ花崗岩の切石を敷き並べ牛車の通行に役立てた。これを車石と呼んでいる。
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