実際に「歩いて」「走って」集めた『人力』旧街道紹介サイト
鈴鹿峠(378m)を越える初めての官道は「阿須波道(あすはみち)」と呼ばれ、平安時代の仁和2年(886)に開通した。 八町二十七曲(はっちょうにじゅうななまがり)といわれるほど、急な曲がり道の連続するこの険しい峠道は、平安時代の今昔物語集に水銀(みずがね)商人が盗賊に襲われた際、飼っていた蜂の大群を呪文をとなえて呼び寄せ、山賊を撃退したという話や、坂上田村麻呂が立鳥帽子(たてえぼし)という山賊を捕らえたという話など山賊に関する伝承が多く伝わっており、箱根峠に並ぶ東海道の難所であった。 また鈴鹿峠は、平安時代の歌人西行法師(さいぎょうほうし)に「鈴鹿山 浮き世をよそにふり捨てて いかになりゆく わが身なるらむ」と詠まれている。 江戸時代の俳人、松尾芭蕉は鈴鹿峠について「ほっしんの 初に越ゆる 鈴鹿山」の句を残している。
≫坂下~土山を歩く
鈴鹿峠(378m)を越える初めての官道は「阿須波道(あすはみち)」と呼ばれ、平安時代の仁和2年(886)に開通した。 八町二十七曲(はっちょうにじゅうななまがり)といわれるほど、急な曲がり道の連続するこの険しい峠道は、平安時代の今昔物語集に水銀(みずがね)商人が盗賊に襲われた際、飼っていた蜂の大群を呪文をとなえて呼び寄せ、山賊を撃退したという話や、坂上田村麻呂が立鳥帽子(たてえぼし)という山賊を捕らえたという話など山賊に関する伝承が多く伝わっており、箱根峠に並ぶ東海道の難所であった。 また鈴鹿峠は、平安時代の歌人西行法師(さいぎょうほうし)に「鈴鹿山 浮き世をよそにふり捨てて いかになりゆく わが身なるらむ」と詠まれている。 江戸時代の俳人、松尾芭蕉は鈴鹿峠について「ほっしんの 初に越ゆる 鈴鹿山」の句を残している。
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