川崎宿かわさきしゅく(神奈川県川崎市)

他の宿場が慶長6年(1601)に設置されたのに対し、川崎宿は元和9年(1623)の設置と時期が遅い。品川宿から神奈川宿までの区間が長く、伝間の負担が大きかったため、この負担を軽減するために新しく設置された、というのがその理由である。
六郷川に架けられた橋が、貞享5年(1688)の大洪水で崩壊して以来、通行人は渡し舟で往来した。川崎宿は、この船賃で財政を潤していた宿場と言える。

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田中本陣跡(たなかほんじんあと)
本陣は主に大名、公家、旗本などが宿泊する施設で、門構え、玄関付、延231坪の堂々たる建物だった。本陣家の主人である田中休愚は、本陣、名主、問屋の三役を兼務し、六郷川の渡し船の権利を江戸側より川崎宿側に譲り受けて、宿場の財政を立て直した。そして「民間省要」を著し、二ヶ領用水や酒匂川の治水に活躍し、幕府の勘定支配格(大名並み)に登用された。
一行寺(いちぎょうじ)
一行寺は山号を専修山、院号を念仏院と称し、浄土宗(総本山・京都・知恩院)。川崎が東海道五十三次の宿場町として繁栄するようになり、鶴見矢向の良忠寺十八代顕譽円超上人により、寛永八年(1631年・徳川三代将軍家光の時代)この川崎上新宿の中心地に、念仏弘通の道場として開創建立された。
宗三寺(そうさんじ)
鎌倉時代創建、勝福寺が前身と言われている。境内には遊女の供養塔と波多野家と青木家の墓石の頭部中央に「鳥八臼」と刻まれた、いまだ解明されていない墓石がある。
砂子の里資料館(いさごのさとしりょうかん)
東海道川崎宿をテーマにした資料館。浮世絵中心に毎月かわる企画展示を行っている。約200年前の東海道川崎宿の模型も展示され、海鼠壁風の江戸町屋の外観は、川崎宿の当時の街並みを連想させてくれる。
稲毛神社(いなげじんじゃ)
創建の年代は詳らかではないが、御神木大銀杏の樹齢が1千年と推定されるところから、古社であることがわかる。 社伝によれば、当神社は東国に争乱の絶えなかった頃武神・武甕槌神をまつり、天皇軍の先勝を祈る社として建てられたと伝えられている。

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前の名所:川崎大師