実際に「歩いて」「走って」集めた『人力』旧街道紹介サイト
「日本武尊が東征の途中、賊の焼き打ちの野火に逢い、自ら鞍下に居して神明に念ず、その鞍、敵の火矢によって焼け破れ尽くした。依って鞍去(くらさり)の名あり」と伝えられ、鞍去が後に倉沢と転訛したともいわれている。鞍佐里神社は尊が野火にあった薩埵峠(さったとうげ)の雲風(くもかぜ)か、山中あたりに建てられていたが、後に現在地に移されたものと思われる。神社拝殿の蟇股(かえるまた)には尊が野火を払うところが見事に彫刻されている。
≫由比~興津を歩く
「日本武尊が東征の途中、賊の焼き打ちの野火に逢い、自ら鞍下に居して神明に念ず、その鞍、敵の火矢によって焼け破れ尽くした。依って鞍去(くらさり)の名あり」と伝えられ、鞍去が後に倉沢と転訛したともいわれている。鞍佐里神社は尊が野火にあった薩埵峠(さったとうげ)の雲風(くもかぜ)か、山中あたりに建てられていたが、後に現在地に移されたものと思われる。神社拝殿の蟇股(かえるまた)には尊が野火を払うところが見事に彫刻されている。
≫由比~興津を歩く