清見寺せいけんじ

約1300年程前の白鳳年間(7世紀後半)、天武天皇朝の頃、東北の蝦夷に備えてこの地に関所が設けられ、 清見関(きよみがせき)と呼ばれていた。そして、其の傍らに関所の鎮護として仏堂が建立された。この仏堂を以って清見寺の始めと伝えている。平安時代には天台宗の寺院であったと思われる。室町幕府を開いた足利尊氏公は、深く清見寺を崇敬し、清見寺山頂に利生塔を建立して戦死者の霊を慰め、天下大平を祈った。又室町幕府は清見寺を官寺と定め、日本を代表する寺ということで「全国十刹」の中に置き保護した。六代将軍足利義教、駿河富士遊覧に下伺せし時には、今川範政これを迎えて清見寺に来り和歌などを詠じて清遊した。この時代、画僧雪舟も清見寺に来り後年富士・三保・清見寺の景色を画いている。徳川家康公は、幼少時今川氏の人質として駿府に在りし頃、当時の清見寺住職太原和尚(第一世)より教育を受けた。又、後年大御所として駿府に隠栖した際には、当時の住職大輝和尚(第三世)に帰依し、再三に渉って清見寺に来遊した。家康公の三女静照院殿よりは、彿殿の本尊釋迦弁る。これら諸々の因縁により、清見寺は三葉葵の紋を許され江戸時代260年の間、二百余石の朱印地を有し徳川一門の帰依を受けるところとなった。

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清見寺
清見寺

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