東海道(とうかいどう)

東海道は8世紀頃、都のあった奈良もしくは京都を起点にした行政区分「五幾七道」の一つとして、伊勢湾沿岸から現在の中部・関東両地方の太平洋岸に沿った地域を東海道と称したものが始まり。
当時、東海道は中路として各駅に10頭の駅馬が置かれ、9世紀初頭の記録では東海道は55駅に465頭の駅馬が置かれたという。1600年、関が原の合戦で勝利をおさめ天下を掌握した徳川家康は、翌1601(慶長6)年、江戸から京都までの東海道を整備し、宿駅伝馬制度を設ける。
江戸日本橋を起点に京都三条大橋まで、そのあいだに、53の宿駅(最初は40数駅)を設けた。それが「東海道五十三次」と呼ばれている。江戸後期の有名な絵師:初代安藤広重の「東海道五拾三次之内・保永堂版」や十返舎一九の「東海道中膝栗毛」などによって、さらに現代に至るまで「東海道五十三次」の名は残り続けている。
なお、東海道は江戸~京都間だけではなく、大津宿から伏見・淀・枚方・守口の四宿を経て大坂にいたるいわゆる京街道も含め、東海道五十七次とも呼ばれた。

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